やる気スイッチ?そんなものはない

「さて、そろそろ走るか・・・」 朝からそう思っています。
でも、すぐには走り出せません。

「これをやったら走りに行こう」 そう思って、まず別のことを始めます。 これが終わったら走ろう。 いや、その前にちょっとコーヒーでも飲もう。 コーヒーを飲んだら、今度こそ走ろう。・・・あ、気づいたらもう昼か。 じゃあ、先に昼飯を食べよう。

昼飯を食べたら少し眠くなってきた。 ちょっとだけ休もう。 目が覚めたら、もう午後3時。 「まあ、まだ時間はある」 そう思っているうちに夕方。

「今日はもういいかな・・・」 いやいや、さすがに走らないとな。
そう思いながら、またダラダラダラダラ。 朝からずっと、頭の片隅には「走らなきゃ」があるのに、身体は一向に動きません。 そして気がつけば、外は暗くなり、 一日の終わりが近づいています。

結局、重い腰を上げてウエアに着替え、出ていくんですが、 暗闇の中を走りながら毎回思うことは

「・・・オレ、一体何やってんだろう?」

別に、身体が動かなかったわけではありません。 脚が痛かったわけでもありません。 家事が忙しくて、時間がなかったわけでもありません。 ただ、走り始めるまでに一日を使ってしまったのです。

そして、家に帰って風呂に入りながら思います。

「今日という一日、もっと有効に使えたんじゃないか?」

もっと一日の早い段階から 走れたはずなのに、一日中ぐずぐずしてしまった自分に腹が立ちます。走り始めたら始めたで、10分20分30分と走り続けることが出来て、何をこんな簡単なことをするのにこんなに時間がかかったんだ? だったら、最初から走ればよかった。

そうは思うものの、また別の日になると、同じことをやっています。 学習しませんねぇ・・・(苦笑)。別の日もまたこの日のように、SNSや動画を見て気分を上げようとしてみたりしながら、やる気が出るのを待っているのです。

ところで。「やる気」って、本当にそんなに大事なものなのでしょうか。 私たちは何かを始めるとき、 やる気が出る→行動する そんな順番を、当たり前のように信じています。 いつの間にか、やる気が出るのを待っています。

でも、もしかすると逆もあるのではないでしょうか。 行動する→あとから、やる気が出てくる。そう考えてみると、「やる気が出ないから動けない」という話は、少し違って見えてきます。 もしかすると問題は、やる気がないことではありません。 やる気が出ないから動けないと思っているけれど、本当は「動かないから、いつまでもやる気が出ない」だけなのかもしれないのです。

やる気を出そうとするだけで疲れる

やる気がない。 だから、やる気を出そうとする。 これが、そもそも面倒です。 音楽を聴いたり、コーヒーを飲んだり、動画を見たり。 「これをやったら走ろう」「あ、その前にあれもやらなきゃ」と、いろいろ理由をつけます。 でも、それらをやっているうちに時間だけが過ぎていきます。

やる気を出すことに、やる気を使っている。

おかしな話ですよね。 感情というものは、あやふやで移ろいやすいものです。 楽しい、嬉しい、悲しい、眠い、面倒くさい――そうした日々の感情と同じように、やる気だって激しく変動します。朝はあったのに、午後にはどこかへ消えていることなんて日常茶飯事です。 そんな不安定なものを、毎日の行動を決める「条件」にしてしまったら、自分の行動も一緒にグラグラと揺らいでしまいます。

「やる気が出ないから、今日はやらない」 「やる気が出たから、今日はやる」 そうやって感情に振り回されるくらいなら、やる気を出すための作業を一切やめてしまえばいいのです。やる気を出すために使うエネルギーがあるなら、そのまま最初の小さな「行動」に回してしまうのです。

「やる気 → 行動」だけが順番じゃない

私たちは普段、「やる気が湧いてくるから、行動できる」という一方向の矢印ばかりに頼ってるような気がします。 しかし、日常を振り返ってみると、逆向きの矢印が存在することに気づきます。

・気乗りしなかったけれど、散歩がてら外に出たら気分が変わった。
・部屋の掃除を少しだけ始めたら、気づけばあちこち綺麗にしていた。
・筋トレをとりあえず1セットだけやってみたら、そのまま予定通りのメニューをこなせた。

つまり、「行動する → 少し気分が乗ってくる → さらに行動できる」という流れです。 やる気というものは、行動を起こす前に必要な「燃料」というよりも、行動した後にひょっこり顔を出す「結果」のような側面も持っています。最初から大きなやる気を用意しておく必要はありません。ほんの少し動き出すだけで、後から感情がついてくることもあるのです。

毎回、自分と交渉しなくていい

トレーニングを重ねていると、「今日は走りたくないな」と思う瞬間は当然やってきます。 そんなとき、頭の中であれこれ考えるのをやめてみましょう。

「本当に今やるべきか?」 「明日2倍走ればいいんじゃね?」 「でも休むと罪悪感があるし……どうする?」 この内なるせめぎ合いこそが、メンタルを最も消耗させます。

故障予防や強い疲労感があって「身体を休めるべき明確な理由」があるなら、迷わずしっかり休むべきです。それは「やる気」の問題ではなく、ただのコンディション管理だからです。

しかし、ただ「なんとなく気分が乗らない」だけなのであれば、やるかやらないかを自分の感情に問いかける必要はありません。 ウエアに着替える。 シューズを履く。 ドアを開けて外に出る。 とりあえず走り始めてみる。 そうして走り始めてみると、最初はあれほど気が乗らなかったのに、いつの間にか普通に走っていることがあります。 「やっぱり走ってよかったな」と思う日もあります。

スポーツ心理学や運動科学の研究領域でも、自律的な動機づけや過去の習慣が運動の継続に関わっていることは示されています。だからやる気という存在そのものを否定するつもりはありません。ですが、「やる気が出るまで動かない」という順番に縛られる必要はない、というのは経験的にもしっくりきます。

やる気を待つのは、もうやめよう

今日も「やる気が出ないな」と思ったら、たぶんまたグズグズするでしょう。 やる気が出ない日があっても、何もおかしくはありませへん。365日、毎日やる気満々で生きている人なんて存在しないのですから。

だからこそ、やる気が訪れるのをじっと待つ必要はありません。 「やる気を出す方法」を検索するのも、気分を上げるための儀式やルーティンに時間をかけるのも、今日で終わりにしてみましょう。

ウエアを着る。 シューズを履く。 外に出る。 「やる気があるかどうか」とは別に、「今日は走る」と決めておく。 そのほうが、毎回「走る? 休む?」と自分と交渉しなくて済みます。 やる気があるかどうかを、いちいち確認しない。 それだけでも、ずいぶん楽になります。

やる気を出すために一日を使うくらいなら、その時間を走ることに使ったほうがいい。 やる気を出すことに使うエネルギーがあるなら、その一歩を踏み出すために使えばいい。 やる気スイッチを探すのは、もうやめです。 そんな便利なボタンは、最初からどこにも存在しないのですから。

参考文献

Cid, L., Monteiro, D., Bento, T., Jacinto, M., Vitorino, A., Teixeira, D. S., et al. (2025). Tell Me What You’ve Done, and I’ll Predict What You’ll Do: The Role of Motivation and Past Behavior in Exercise Adherence. Healthcare, 13(15), 1879. PubMed

Teixeira, P. J., Carraça, E. V., Markland, D., Silva, M. N., & Ryan, R. M. (2012). Exercise, physical activity, and self-determination theory: A systematic review. International Journal of Behavioral Nutrition and Physical Activity, 9, 78. PubMed

コメント