
現代の健康やダイエットに関する議論では、「カロリーの摂りすぎ(食べすぎ)」が肥満や生活習慣病の主な原因として挙げられがちです。食事を減らし、摂取カロリーを抑えることこそが健康維持の王道であると考えられています。
しかし、歴史の記録に目を向けると、この現代的な常識に対して大きな疑問が湧いてきます。
たとえば、江戸時代における武士の俸禄の基本単位であった「1人扶持(いちにんぶち)」は、「1人1日あたり米5合」を基準として支給されていました。さらに時代は下りますが、宮沢賢治の詩『雨ニモマケズ』にも「一日ニ玄米四合ト」という一節が登場します。
「これほど膨大な主食を前提とした生活が、なぜ成立していたのか?」
もし当時の人々が現代人と同等の体重を維持していたとすれば、そこには摂取したカロリーを消費し尽くすだけの理由があったはずです。
この記事では、江戸時代の食事や生活を「鏡」として現代人の生活に照らし合わせながら、私たちは本当に「食べすぎ」なのか、それとも「動かなすぎ」なのか、歴史資料と運動生理学・疫学の知見から深く掘り下げていきます。
第1章:「米5合」という数字の違和感と、歴史的データの真実
まず、冒頭に挙げた「米5合」や「玄米4合」という数字の持つ歴史的・栄養学的な意味を、正しく解き明かす必要があります。
扶持米の「1日5合」が意味するもの
武士に支給されていた「1人扶持=1日5合(年1石8斗)」ですが、これは個人の胃袋に納まる毎日の実食量を意味するものではありません。
1人扶持は、当時の社会制度における給与・雇用の計算単位です。武士はこの米を使って家族や奉公人を養い、あるいは米の一部を市場(札差など)を通じて売却・現銀化しておかずや衣服、住居費、日用品などの購入に充てていました。
では、「5合」という数字は単なる抽象的な記号だったのでしょうか。そうではありません。当時の社会において「大人ひとりが1日生存し、労働力を維持するために必要な米の基準量(あるいはそれを支えるコストの単位)」として、5合という数値が実質的な妥当性を持っていたからこそ、給与体系の標準として長年機能していたのです。
宮沢賢治の「玄米4合」とエネルギー密度
宮沢賢治の『雨ニモマケズ』にある「玄米四合」も、賢治本人の日々の食事記録ではなく、厳しい自然の中で泥にまみれて働く過酷な農民像を描いた理想の食生活です。
では、玄米4合とはどれくらいのエネルギー量なのでしょうか。
- 重量:玄米1合を約150gとすると、4合で約600g。
- エネルギー量:生米100gあたり約350kcalと換算すると、600gで約2,100kcal。
炊飯すると水分を含んで重さは約1.2〜1.3kgに達しますが、カロリー自体は生米の時点で決まります。米だけで2,100kcalと聞くと一見大食いに思えますが、ここには「エネルギー密度」のトラップが存在します。
現代人の食事は、肉、油、乳製品、加工食品などに含まれる「脂質(1gあたり約9kcal)」の割合が高く、見た目のボリュームが少なくても高カロリーになりがちです。
一方で、当時の庶民の食事は脂質が極端に少なく、カロリーの大部分を「炭水化物(1gあたり約4kcal)」に依存していました。さらに、当時の食事は「玄米4合」や「米5合」だけで完結していたわけではありません。少量であっても味噌、漬物、野菜、豆類、時には魚などの「おかず」が加わります。
つまり、必要なエネルギーを得ようとすると主食の「容積(合数)」が必然的に大きくなったというのが第一の理由です。
長州藩データが示す「想定外の数字」
ここで、一度私たちの先入観を壊す歴史データをご紹介します。
食文化史・歴史学研究者の原田信男氏らの著書(『歴史のなかの米と肉』等)では、天保年間の長州藩における地誌『防長風土注進案』などの史料をもとに、当時の農村部における食料生産高から1人1日あたりの推定供給エネルギー量が算出されています。
その推計データが示す数字は以下の通りです。
- 1人1日あたりの推定供給エネルギー:約1,861 kcal
- 穀類由来のエネルギー比率:86.4%
- 脂質の割合:約5.5%
この「1,861 kcal」という数字を見て、どう感じるでしょうか。「思ったよりも少ない」と感じる方が多いのではないでしょうか。
もちろん、この数値は長州藩の史料に基づき地域全体の生産量から試算された「1人あたりの利用可能エネルギー量」であり、全国平均でもなければ、過酷な肉体労働に従事する職人や飛脚の個別データを表すものでもありません。
しかし、このデータはきわめて重要な事実を教えてくれます。
江戸時代の人々は、「際限なく大量のカロリーを消費して、それを補うためにカロリーを爆食していた」わけではないということです。むしろ、総カロリー自体は現代人(成人男性の推定エネルギー必要量:約2,200〜2,700kcal)と同等か、時期や地域によってはそれ以下であった可能性すら示唆されています。
それにもかかわらず、なぜ「米5合」という大量の主食を必要とする社会が存在したのか。答えは、「何を食べ、どう動いていたか」という生活の構造そのものにあります。
第2章:何歩歩いたかではなく「何を機械に任せたか」
「江戸時代の人は毎日3万歩歩いていた」といった極端な言説を見かけることがありますが、現代のような全国規模の歩数計データが存在しない以上、そうした数字を事実として扱うことはできません。
江戸時代の人々の身体活動を考える上で重要なのは、「歩数」というあやふやな数字ではなく、「現代では機械やインフラが肩代わりしているどの作業を、当時は人間の身体が担っていたか」という物理的な比較です。
| 生活の要素 | 現代社会 | 江戸時代 | 身体にかかる負荷の質 |
| 移動 | 自動車・電車・バス・エレベーター | ほぼすべて徒歩 | 長時間の低強度運動(全身の骨格筋使用) |
| 水回り | 上水道・給湯器・蛇口 | 井戸や川からの水汲み・運搬 | 体幹・上肢・下肢を使った中〜高強度の荷搬 |
| 洗濯 | 全自動洗濯機・乾燥機 | たらいでのもみ洗い・絞り・運搬 | 上肢・背部を中心とする持続的な筋作業 |
| 調理・燃料 | ガスコンロ・IH・電子レンジ | 薪割り・火起こし・ふいご吹き | 姿勢保持・体幹を使った力仕事 |
| 掃除・衛生 | 掃除機・ロボット掃除機 | ほうき引き・雑巾がけ | 深い屈曲姿勢での体幹・下肢活動 |
| 生産・労働 | 産業機械・自動化ライン・デスクワーク | 手作業による農作業・建築・手工業 | 一日を通した多角的な肉体負荷 |
ここで注目すべきは、昔の人々が「毎日朝から晩まで高強度のトレーニングを行っていた」わけではない点です。
水汲みや薪割り、重量物の搬送などの作業は局所的に高い身体負荷(高強度)を伴いますが、長距離の移動、雑巾がけ、農作業の多くは、低強度〜中強度の持続的な活動です。
つまり、激しい運動を一極集中で行うのではなく、低強度から高強度までの多種多様な身体活動が、朝起きてから寝るまでの日常生活の中にくまなく分散して組み込まれていたというのが、当時の生活様式の実態でした。
わざわざ「運動する時間」を作らなくても、生きる営みそのものが身体活動のネットワークとなっていたのです。
第3章:食事量から「消費エネルギー」を推定する生理学の難しさ
ここで一度、生理学的な観点から「食べる量」と「動く量(消費エネルギー)」の関係を客観的に整理しておきましょう。
直感的には「たくさん食べた=その分だけ多く身体を動かした」と捉えがちですが、人間のエネルギー代謝は単純な引き算や掛け算ではありません。
食事量=消費カロリーとは言えない理由
仮に特定の人物の正確な食事記録が残っていたとしても、そこから日常の身体活動量(歩数や運動消費カロリー)を直接割り出すことは不可能です。なぜなら、人間の1日の総エネルギー消費量(Total Energy Expenditure)には、以下のような多様な変動要因が介在するからです。
- 体格(体重・骨格筋量)および年齢・性別
- 基礎代謝量(安静時でも呼吸や体温維持で消費されるエネルギー)
- 食事誘発性熱産生(DTE/TEF)(消化・吸収に伴うエネルギー消費)
- 腸管からの栄養吸収率(未消化物としての排出割合)
- 気温や環境による体温維持コスト
摂取したカロリーのすべてが身体活動に回されるわけではなく、かなりの割合が基礎代謝や体温維持に割り振られます。
長期的エネルギー平衝(エナジー・バランス)の視点
しかし、逆の視点から考えることは可能です。
生理学の基本原則として、「長期間にわたって体重が著しく増減せず維持されている場合、摂取エネルギーと総消費エネルギーは長期的には均衡(イコール)している」と言えます。
もし当時の人々が、精白精製されていない穀類を中心とした膨大な容積の主食を毎日摂取し、なおかつ肥満化することなく生活していたとすれば、そこには基礎代謝に加えて、日常の生活動作によるエネルギー消費(身体活動)がしっかりと存在し、長期的エネルギーバランスを維持していたという結論に至ります。
補償メカニズム(Constrained Energy Expenditure)の視点
近年の人類学および運動生理学の研究(Pontzer et al., 2016; Pontzer & Trexler, 2026)では、身体活動量を際限なく増やしても、総エネルギー消費量が単純比例して直線的に増え続けるわけではないことが示されています。
この「総エネルギー消費の制約モデル(Constrained Total Energy Expenditure)」によると、日々の身体活動量が増えると、その増加分が総エネルギー消費量にそのまま上乗せされるとは限らず、身体の他のエネルギー消費が調整されることで、総エネルギー消費の増加が一部相殺される可能性が示されています。
したがって、「昔の人は現代人の何倍ものカロリーを無限に消費していた」と単純化するのは正確ではありません。
しかし、このモデルを考慮したとしても、現代人のように「一日中座りっぱなしでほとんど身体を動かさない状態」と、かつての人々のように、移動や家事、仕事など日常生活の多くの場面で身体を使っていた状態とでは、1日の中で身体活動がどのように存在しているかという「活動の質と構造」に大きな差があったと考えられます。
第4章:現代人は「運動不足」なのか「生活活動不足」なのか?
ここから、私たちが生きる現代社会の課題へ論点を移しましょう。
厚生労働省の『国民健康・栄養調査(令和5年)』によると、日本人の成人の1日あたりの平均歩数は男性で6,628歩、女性で5,659歩であり、長期的な減少傾向が続いています。
こうしたデータを見ると、メディアやヘルスケアの現場では一言で「現代人は運動不足だ」と片付けられがちです。しかし、問題の本質を正しく理解するためには、身体を動かす概念を以下の4つに明確に区別する必要があります。
身体活動に関する4つの概念
- Physical Activity(身体活動)骨格筋の収縮を伴い、安静時よりもエネルギー消費が増加する身体の動き全般。仕事、家事、移動、余暇活動のすべてを含む包括的概念。
- Exercise(運動)Physical Activityのうち、体力維持・強化や健康増進を目的に、意図的・計画的・継続的に行われる活動(例:ランニング、ウエイトトレーニング、水泳など)。
- NEAT(Non-Exercise Activity Thermogenesis:非運動性熱産生)Physical Activityのうち、意図的な「運動」や「スポーツ」以外の日常活動によって生じるエネルギー消費。姿勢維持、立ち上がる、歩く、家事をする、仕事中に身体を動かすといった活動が含まれる。
- Sedentary Behavior(座位行動)座る、横になるなど、エネルギー消費量が1.5 METs以下の安静に近い状態で行われる行動。
現代社会は、テクノロジーとインフラの高度化によって、日常生活からPhysical Activity(特にNEAT)を徹底的に削ぎ落としてきました。
その結果、「生活の中で自然に生じる活動量が枯渇したため、わざわざ時間を作ってExercise(運動)という特別なイベントを追加しなければ、最低限の健康すら維持できない」という現代特有の歪んだ構造が作り出されたのです。
つまり、現代人が抱えている本質的な問題は、単に「ジムに行く運動習慣がない」ことではなく、「日常生活全体の身体活動(Physical Activity / NEAT)の枯渇」にあると言えます。
第5章:1時間トレーニングしても、残り23時間は?
この構造的な問題は、日頃からランニングやサイクリング、筋力トレーニングなどに精力的に取り組んでいるマスターズ世代のアスリートにとっても決して他人事ではありません。
例えば、1日1時間、ジムで汗を流したりロードワークを行ったりするExerciseを日課にしている人がいるとします。これは体力や心肺機能の向上において間違いなく素晴らしい習慣です。
しかし、ここで注意すべきは、「意図的な運動を行っている人」と「一日全体の身体活動量が多い人」は生理学的に全く別であるという点です。
早朝に1時間しっかり走ったとしても、その後の通勤は車、仕事は8時間デスクワークで座りっぱなし、帰宅後もソファでテレビを見て過ごす。このような生活パターンでは、1時間の高いExercise習慣はあるものの、残りの23時間は極めて強固な「Sedentary Behavior(座位行動)」によって占められることになります。
近年の疫学研究や国際的なガイドライン(Katzmarzyk et al., 2019)では、「身体活動の促進」と「座位行動の削減」は独立した別個の健康課題であることが強く示されています。
日本人成人を対象とした最新の系統的スコーピングレビュー(Shibata et al., 2026)においても、日常的な運動習慣の有無に関わらず、1日の座位時間が長いこと自体が健康上のリスクと関連することが指摘されています。
もちろん、これは「1時間運動しても座っていたら意味がない」という極論ではありません。Exerciseがもたらす心肺機能の強化や筋力維持効果は極めて高く、代替不可能な価値を持っています。
重要なのは、以下の3つの関係性を正しく理解することです。
- Exercise(運動)を行うこと
- NEAT(日常活動)を高めること
- Sedentary Behavior(座位時間)を減らすこと
これらは互いに相殺し合うものではなく、それぞれが独自のメカニズムで私たちの代謝や健康に作用しています。1時間の激しいトレーニングに満足し、残りの23時間で完全に身体を休眠状態にしてしまうと、一日全体の「身体活動のバランス」としては大きな偏りが生じてしまうのです。
第6章:江戸時代を美化せず、現代の生活を再設計する
ここまで江戸時代の生活を比較対象として挙げてきましたが、決して「江戸時代の生活に戻るべきだ」とか「昔の人は現代人より健康的で幸せだった」という懐古主義的な主張をしたいわけではありません。
歴史的な事実として、江戸時代の生活には以下のような過酷な現実が存在しました。
- 結核やコレラなどの感染症の脅威
- 微量栄養素(ビタミン・ミネラル)の不足による脚気などの慢性病
- 現代の医療技術や公衆衛生の欠如
- 過酷な肉体労働に伴う労働災害や身体の早期摩耗
- 現代よりはるかに短い平均寿命
便利な家電製品や交通機関、快適な空調設備、高度な医療技術を享受できる現代社会は、人類の絶え間ない努力と技術革新の果実です。過酷な肉体労働から開放されたことを否定する必要はどこにもありません。
この記事が提示したいのは、「便利さを捨てて昔の苦労を取り戻そう」ということではありません。
「便利さを追求した結果、私たちの生活から自動的に発生していた身体活動(Physical Activity / NEAT)が綺麗に削ぎ落とされ、その弊害が『運動不足』や『座位行動の過多』として顕在化している」という事実を正しく認識することです。
結び:私たちは「食べすぎ」なのか、「動かなすぎ」なのか?
「現代人は『食べすぎ』なのか、それとも『動かなすぎ』なのか?」という冒頭の問いに戻りましょう。
歴史資料が示す栄養構造と、現代の身体活動のメカニズムを重ね合わせたとき、ひとつの答えが見えてきます。
現代の私たちは、単に「食べすぎている」だけではありません。かつて生活そのものの中に組み込まれていた身体活動の多くを失ったことで、「動くこと」と「食べること」の関係そのものが大きく変化したのです。
昔の人々は、健康のためにわざわざ時間を切り取って運動していたわけではありません。生きていくプロセスそのものが身体活動でした。
対して現代人は、日常生活から活動が消え去ったからこそ、意図的に「運動」を作り出し、意識的に「座りっぱなし」を防ぐ工夫をしなければならない時代を生きています。
日々のトレーニングに励む方も、デスクワーク中心の生活を送る方も、一度ご自身の24時間を振り返ってみてください。
「今日1日の中で、自分はどれだけ自分の身体を使って過ごしただろうか?」
ジムに行く時間を確保することと同じくらい、日常の移動で一駅歩くこと、意識的に立ち上がること、家事を自分の手で行うこと。そうした日常のわずかな動作(NEAT)の積み重ねが、私たちの身体を本質的な意味で「動く体」へと繋ぎ止めてくれるはずです。
参考文献・出典
- 厚生労働省. 『国民健康・栄養調査(令和5年)』.
- 原田信男. 『歴史のなかの米と肉―食生活の文化史』. 平凡社, 1993年.
- 原田信男. 『江戸の食生活―文化としての食覚』. 岩波書店, 2003年.
- Pontzer H, Durazo-Arvizu R, Dugas LR, et al. Constrained Total Energy Expenditure and Metabolic Adaptation to Physical Activity in Adult Humans. Current Biology. 2016;26(3):410-417. PMID: 26832439.
- Pontzer H, Trexler ET. The evidence for constrained total energy expenditure in humans and other animals. Current Biology. 2026;36(4):1013-1025.e4. PMID: 41653928.
- Katzmarzyk PT, Powell KE, Jakicic JM, et al. Sedentary Behavior and Health: Update from the 2018 Physical Activity Guidelines Advisory Committee. Medicine & Science in Sports & Exercise. 2019;51(6):1227-1241. PMID: 31095080.
- Shibata A, Ishii K, Owen N, Oka K. Sedentary Behavior and Health Consequences: A Systematic Scoping Review of Prospective and Longitudinal Studies in Japan. Journal of Epidemiology. 2026;36(1):1-19. PMID: 40819887.



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